由緒によれば大御和神社は
『国璽の印、及び国庫の印鑰を守護せられし神徳により印鑰大明神と称した』とある
すなわち
『国司の官印と諸司の蔵の鍵が紛失しないよう祈り、神社内に保管した』(鑰はカギの意味)
だから印鑰大明神だったんですね。
ゆえに神社の神紋も大変珍しい『鍵』のマーク🗝鍵の立会
実際に大御和神社の境内を探せば、鍵の神紋があちこち見つかりますよ!
『鍵(かぎ)』見つけられるかな?
この美しい魅力的な意匠の数々に彩られた拜殿を取り壊す計画とはアンビリーバブル!
神社境内を巡ってみるとまだまだありますよ〜
見つけたら教えてね!
〜ヒント:街の中心にある鎮守の杜を探せ!
●どこから眺めている風景なのかな?
〜ヒント:有名な古墳群が200基近くあるらしいよ!
標高212.3m、国府や石井の小中学校校歌にも登場する気軽に登れる山です
中腹の杉尾山には延喜式内社の矢倉比命(やぐらひめ)神社が鎮座、奥の院の五角形の磐座はパワースポットとして有名、ふもとに徳島市の阿波史跡公園や考古資料館、国分尼寺跡などもあります
大鳥居の傍らで神社を永く見守ってきた『大樹くすのき』
阿波の関東売藍商であった中村の手塚家が藍のすくもを運んだ船の海運祈願に寄進し造営した境内社、祭神は海運守護の市杵島姫命です
大御和神社の境内には若宮神社と稲荷神社もあります
国府町内には飛び地境内社が4神社もあります
歴史ある大御和神社には阿波の史跡がいくつもありますよ!
今は鳥居が東門と南門と2つありますね!
境内地は今も同じ様子です
ぐるり伊予街道をゆくのは人力車に飛脚かな?おもしろいですね〜
社殿前の茅の輪をくぐる大抜けは元々6月12月の末日に行われるものだが、大御和神社の氏子・崇敬者の農閑期を選び、毎年7月末日としたとある
厄払いのお祭り〜あらゆる罪を拔き除き、けがれの心を拔き清め、清浄潔白の心となって心身の健康を得るためのもので、神社からのヒト形紙に『氏名、干支』を記し、息を吹きかけたり、肌身を撫で、当日神社へ送り、大抜の式後に川へ流す
氏子6地所より神楽屋台をねり出す祭り、元々旧暦9月9日重陽祭が、明治40年新暦10月9日に、昭和9年から現行になった
大神楽の奉奏と広い境内では農具・金物市や植木市の露天がならぶ府中の宮市が有名であった
同年、境内中央部古墳周囲の玉垣が中村の美馬家から、境内の東南西周囲323mに渡る花崗岩玉垣が大勢の氏子・崇敬者から寄進された
クイズ5の絵地図をよく見てね! 昔は鮎喰川から引いた以西用水が神社の周囲を流れていました
あなたもジンドゥーで無料ホームページを。 無料新規登録は https://jp.jimdo.com から